瞑想合宿を終えて得たこと、変化したこと、実感したことについて
瞑想合宿で学べる3種の瞑想法(アーナパーナ瞑想、ヴィパッサナー瞑想、メッターバーバナー瞑想)とは?
とも
Googleの研修やAppleの創始者スティーブ・ジョブズが日常生活に取り入れていたなど、海外では一般的に流行している瞑想ですが、近年は日本でも徐々に注目されてきました。
瞑想の効能は科学的にも証明されており、多くのビジネスパーソンや経営者、さらには精神的な病の治癒にも効果があるとして、日本人の間でも流行りをみせてきているようです。
僕自身、瞑想合宿に参加しようと思ったのも、HSPという超敏感気質について調べていたところ、書籍の中で「瞑想が治癒に一番テキメンだった」という記述をみたからです▼
ということで僕もそんな瞑想の効果を実感するために、思い切って瞑想合宿に行ってきたのですが、これが人生観を良くも悪くも変えてしまうすごい経験となりました。
あなたもこの記事を読み、日々の生活に瞑想を取り入れることで、渇望や嫌悪といった負の感情に苦しむ日々から脱して、健やかで穏やかな生活を過ごしちゃいましょう!
ヴィパッサナー瞑想合宿(10日間コース)とは?
日本ヴィパッサナー協会(JVA)は、サヤジ・ウ・バ・キンの伝統のもと、S.N.ゴエンカ氏またはそのアシスタントの指導によるヴィパッサナー瞑想コースを行う非営利団体です。(中略)
すべて同じヴィパッサナーの原則にのっとり、非宗派、非商業主義を貫いています。その目的は、S.N.ゴエンカ師の指導によるヴィパッサナー瞑想コースの運営です。
日本では、1981年にゴエンカ師が初めて十日間コース指導で来日されたおりに、『日本ヴィパッサナー協会』 Japan Vipassana Association (JVA)が設立されました。
出典:日本ヴィパッサナー協会
僕も知り合いの裸足ブロガー(陽気なイカ太郎 👣裸足ブロガー)さんから教えてもらうまで知らなかったのですが、瞑想合宿の定番で、有名な瞑想合宿みたいです。
彼も瞑想合宿に参加して、体験レポートを書いています▼
参考
【体験レポート】ヴィパッサナー瞑想合宿センターは怪しい宗教組織なのか?裸足と瞑想の日々
瞑想合宿の費用・価格・寄付金の金額目安
この瞑想合宿、なんといっても驚くべきことは、10日間泊まり込みの瞑想合宿にも関わらず、無料(寄付)で受けられるということです!
そのためか非常に人気のようで、瞑想合宿の参加予約は2ヶ月前辺りから予約しないと取れませんでした。
ということで、2ヶ月前から予約しました。ちなみに予約申込開始の日に即行で申し込みです。
僕が参加した日程は【2018/8/29(水)~9/9(日)】です。
無料で受けられるとはいえ、食費、水道光熱費、施設の諸費用など多くの金額が動いています▼
瞑想合宿の年間コース総運営費
僕は1万円をクレジットカードで寄付しました。知人は5000円を寄付したようです。見てみると他の生徒たちも1万円前後を寄付していました。
寄付の相場は下手したら数十万かと思いましたが、むしろ半分以上の方は寄付をしている様子はなかったと思います。知人のときも同様のようでした。
お気持ちとはいえ、さすがに10日間の宿泊と瞑想法を指導してもらえるにも関わらず、無料でもいいと人間はこうも経済合理的な対応をするのだなと感慨深かったです。笑
日本ヴィパッサナー協会とゴエンカ氏について
日本ヴィパッサナー協会は、ミャンマーでインド人の家系で育ったS.N. ゴエンカ氏が創設した協会です。
彼は事業家として成功して裕福な生活を過ごしていたみたいなのですが、難病に苛まれて、その治癒の解決方法から瞑想に出会ったといいます。
難病は無事に治癒し、この素晴らしい瞑想法に心酔したゴエンカ氏は、指導者のサヤジ・ウバキン氏のもとで14年間の修行の後、1969 年よりヴィパッサナー瞑想の指導を始めたようです。
こうしてゴエンカ氏が指導するコースは多くの人々に支持されて、今では世界中に広がっており、世界各国で瞑想センターが続々と設立されています。
- インド
- カナダ
- アメリカ
- オーストラリア
- ニュージーランド
- フランス
- イギリス
- スリランカ
- タイ
- ミャンマー
- ネパール
ちなみにゴエンカ氏は2013年9月に89歳で息を引き取られており、今はゴエンカ氏から教えを受け継いだ指導者が運営して成り立っています。
ヴィパッサナー瞑想とは?【やり方】
そもそもヴィパッサナーとは、「物事をあるがままに見る」を意味するパーリ語(おもにスリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジアなどで信仰されている南方仏教の聖典に用いられている言語)のことをいいます。
合宿中、このパーリ語が沢山出てくるので意味を理解するのに苦労しました。
では、難病をも治癒してしまうヴィパッサナー瞑想とはどのような瞑想法なのでしょうか?
瞑想合宿で貰った資料によるとこう書いてあります▼
意識を頭頂から足先へ、そして、足先から頭頂へと、体系的に動かし、出会うすべての感覚を感じることによって、体のすべての部分を順番に観察します。客観的に観察します。
つまり、経験するすべての感覚、快(こころよ)いもの、不快なもの、そのどちらでもないもの、それらに対して、すべてが無常である、という性質を理解することにより、平静を保つことです。意識を動かし続けます。
どこであっても、一つの場所に数分以上、留まってはなりません。この修行が機械的にならないようにします。経験する感覚の種類により、異なる方法で観察します。さまざまな、粗雑な感覚を経験している体の部分では、部分ごとに意識を動かし、観察しなければなりません。
両腕、両足など、左右対称の場所では、そこに同じような微細な感覚があれば、同時に観察してもよいでしょう。体全体で微細な感覚を経験しているなら、体全体に意識をさっと流し、その後でまた、部分ごとに修行します。
家で瞑想するとき、体を動かさずに1時間坐り続けることは助けになるかもしれませんが、そうする必要はありません。
どの瞑想法においてもとる姿勢は、目は瞑り、背筋を伸ばし、胡座をかいて、手は膝や股の上などに置いた状態でします。
瞑想合宿中に説明された順番は下記の通りです▼
- 頭頂
- 頭全体
- 顔全体
- 右肩
- 右上腕部
- 右肘
- 右下腕部
- 右手首
- 右手のひら
- 右指先
- 左肩
- 左上腕部
- 左肘
- 左下腕部
- 左手首
- 左手のひら
- 左指先
- 首
- 胸
- 腹
- 後ろ首
- 背中
- 腰
- 右尻
- 右太もも
- 右ひざ
- 右すね
- 右足首
- 右足
- 右足先
- 左尻
- 左太もも
- 左ひざ
- 左すね
- 左足首
- 左足
- 左足先
この順番に意識を動かして、何らかの感覚を感じたら次の部位に移動するというのをひたらす繰り返していました。
もし何らかの感覚も感じないようなら、その部位に1分程留まります。それでも感じない部分はスルーして、次の部位に移動します。
最後まで移動したら、今度は逆の順番に意識を動かしていく流れになります。
1セット(頭頂から足先、足先から頭頂)30分くらい掛かりました。慣れてくると流れるように意識を動かすようになり、1セット10分程度になりました。
痛みや痒みに反応せず、ただただ客観的に観察することが大切になります。時間が経つと足が痺れてお尻が痛くなりますが、平静な心で意識に集中します。
公式サイトに掲載されているヴィパッサナー瞑想についてのゴエンカ氏の講話を読んでみると、非常に理解が深まり、習得意欲も湧くのでオススメです。一部を抜粋して紹介しておきます▼
苦しみから脱するためには、 それを生み出している原因を知らねばなりません。苦悩の原因は何なのでしょうか。問題の答えを探るにつれ、やがてはっきりとしてきます-心に否定的な感情、反意を生むとき、苦しみが生まれるのです。反意、つまり心の汚れは、安らぎや調和と共存することはできません。
それでは、私たちはどんなふうに反意を生んでいるのでしょうか。ここでも、心を見つめることでその原因を理解することができます。他の人が自分の気に入らない態度をとったり、何かいやなことが起こったりした時、私たちは不満を感じます。ものごとが自分の意志に背いて起こる時、私たちは苛立ちを感じます。心に縛り目を結びます。一生の間、望むことは得られず、望まないことが起こりつづけます。その度に、私たちは心にひとつ、またひとつと縛り目を作り続けるのです。心も体も苛立ち硬張り、反意に満たされます。人生は惨めなものとなります。
ひとつには、人生でいやなことが何も起こらないようにするという方法があります。すべてが自分の思う通りにいくようにするのです。自分でそのような超能力を身につけます。それが無理なら誰かそのような力を持つ人を見つけて、願えばいつでも助けてもらえるようにします。いいえ、それは無理な話です。どこの世界を探しても、望みが常に叶い、すべてが思いのままになり、いやなことが何ひとつ起こらない人などいません。ものごとは私たちの意志や希望に反して起こり続けます。では、嫌なことが起こったときに反応しないでいるにはどうすればいいのでしょうか?心に緊張を生まず、安らぎと調和を保ち続けるにはどうすればよいでしょうか?
他の国々と同様にインドでも、賢者や聖人たちがこの問題に取り組んできました。人間の苦悩ということにです。そして、ひとつ答えを見つけました。何かいやなことが起こり、怒りや恐れや反発が生れると、すみやかに何か他のことに心をそらすのです。例えば、立ち上がってコップに水を入れて飲みます。気が紛れて、怒りはそれ以上大きくならないでしょう。あるいは、 1、2、3、4・・・と 数を数えます。 何かの言葉や呪文、信仰する神や聖者の名を唱えます。注意がそらされて、反発や怒りからある程度離れることができるでしょう。
こうした方法は、なかなか役に立ちます。心がイライラしなくなるような気がしてきます。けれども、実は、それは心のほんのうわべでのことに過ぎません。本当は、注意をそらすことによって、反発心を潜在意識の底へと押しやったにすぎないのです。表面的には調和のとれた安らかさを保ちつづけるでしょう。しかし、心の奥底では押し込められた反発心が休火山のごとく、くすぶり続けます。それはやがていつかは大爆発を起こすでしょう。
より深く内面を探求した人々は、自分自身の心と体の真実を体験することによって、気をそらすことは問題から逃げることにすぎないと悟りました。逃避は解決にはならない、 問題と向き合わなければなければならない、と悟ったのです。心に否定的な感情が起こる時、それをじっと見つめ、向き合ってみるのです。観察を始めるやいなや、心の濁りは力を失い、消えていきます。
出典: S.N. ゴエンカ氏 がスイスのベルンで行なった講話
アーナーパーナ瞑想とは?【やり方】
実はこの10日間コースの瞑想合宿では、4日目の夜まではヴィパッサナー瞑想法はやりません。それまではアーナーパーナ瞑想というのをやります。
アーナーパーナとは、アーナとアパーナの合成語であり、アーナは「入息」を、アパーナは「出息」を意味するパーリ語になります。
その意味の名の通り、「息の出入りを観察する」が、アーナーパーナ瞑想法です。
こちらも実践の手引きに方法が記載されているので、紹介します▼
心が鈍っていたり、いらだっていたりするとき、あるいは体の感覚を感じにくいとき、また感覚に反応しないことが難しいとき、アーナーパーナを行いなさい。意識を、鼻孔の下から上唇の上の部分におきなさい。息が鼻孔に入り、そこから出て行くたびに、その息に気づき続けなさい。
心が鈍っていたり、あるいは、いらだっていたりするときには、しばらく、意図的に少し強めの呼吸をします。そうでないときには、自然な呼吸を観察します。アーナーパーナから始めて、ヴィパッサナーに切り替えます。また、必要な場合は、1時間ずっと、呼吸の観察を続けます。
アーナーパーナはヴィパッサナーと違いシンプルで簡単です。意識を鼻孔の下から上唇の上(上ヒゲの箇所)という1つの部分におけばいいだけだからです。
そして意識をおきながらも鼻孔に息が出入りすることに気づき続けます。強めの呼吸をすることで、雑念に負けずに集中しやすくなるので、無我に入りやすいです。
メッター・バーバナー瞑想とは?【やり方】
さらにもう1つ9日目の夜に瞑想法を教わります。それがメッター・バーバナー瞑想です。
メッターとは「愛、慈悲」を意味する言葉で、バーバナーは「育てる、育む」を意味します。このことから「慈悲の瞑想」と呼ばれています。
こちらも瞑想実践の手引きに方法が書かれていましたので、紹介します▼
1時間の終わりに、心か体に、何か動揺があれば、リラックスして、落ち着かせます。その後、数分間、体のどこかにある微細な感覚に意識を集中します。そして、すべての生きものに対する善意の気持ちで心と体を満たします。
すべての生きものに対する善意の気持ちは、下記のようなことを念じます▼
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)私の親しい生命が幸せでありますように
私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
私の親しい生命に悟りの光が現れますように
私の親しい生命が幸せでありますように(3回)生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
出典:慈悲の冥想 Mettā Bhāvanā
僕はまだ覚えられていないので、とにかく自分の幸せと苦悩からの解放を願い、その次に周囲のことを願い、最後に生きとし生けるものが幸せでありますように、と念じています。
ちなみに、1時間のうち最後の5分をメッター・バーバナー瞑想で締めるようにしています。
瞑想合宿の概要・全貌
瞑想合宿施設の全貌を赤裸々に公開します!
瞑想合宿の地図
これは合宿所のマップです。男性宿舎AとBがあり、Bは個室になっています。見たところ古い生徒と新しい生徒の年長者が優先されてBに案内されていました。あと恰幅のいい人も宿舎Bでしたね。笑
実写だとこんな感じです。よく見るとわかるのですが、男性エリアと女性エリアはロープで仕切られています。
というのも瞑想合宿には8つの戒律と各規律があるからです▼
瞑想合宿のルール
- 生き物を殺さない。
- 盗みを働かない。
- 一切の性行為を行わない。
- 嘘をつかない。
- 酒・麻薬の類を摂らない。
古い生徒(S.N. ゴエンカ氏またはアシスタント指導者が参加するコースを修了した)は、次の三戒も守ります。
- 正午以降、食事を摂らない。
- 踊りや歌などの娯楽を避け、装身具などで身を飾らない。
- ぜいたくな高い寝台で眠らない。
出典:コースの規律|日本ヴィパッサナー協会
さらに強烈なルールが下記です▼
- 4時起床9時就寝。瞑想時間は1日10時間以上(各自瞑想が半分以上あるのでサボれる)
- 食事は午前中に一汁一菜の2食のみ(午後はバナナ1本とナシ半分かブドウ半分のみ)
- 最終日まで非言語含むコミュニケーションをしてはならない(通称:聖なる沈黙)
- 生活必需品以外は全て預けなくてはならない(スマホや本、紙やペンさえも禁止)
起床就寝と沈黙は意外と平気でしたが、食事やスマホ、本などの娯楽が封じられているのが辛かったです。
瞑想合宿の食事
食堂と一汁玄米の写真です。こちらに各日異なる菜食(結構美味しい)がある感じです。
ちなみに飲み物が、麦茶やコーヒー、紅茶、豆乳、牛乳と飲み放題だったのがせめてもの救いでした。汗
瞑想合宿の宿舎A棟B棟
僕は新しい生徒で20代ということもあり、個室ではなく、18人と一緒にベッド生活でした。知り合いは個室だったために、これは想定外で、これが後述するように強烈な苦悩に苛まれるのでした。
瞑想合宿のトイレ、シャワー
大のトイレの方はウォシュレット付きで、衛生的で問題は全くありませんでした。シャワーもこの通りちゃんとしています。
瞑想合宿の大ホール
自主瞑想のときは宿舎で各自瞑想していていいのですが、1日3回あるグループ瞑想時は必ずこの瞑想ホールでしなくてはなりません。
とはいえ、自主瞑想時もほとんどの方はこちらの瞑想ホールで瞑想していました。宿舎ではほぼ皆さん休憩していましたね(個室の宿舎の方には瞑想台があるのでわかりませんが)。
瞑想合宿のスケジュール
僕は「2・3・4・3」と瞑想時間を覚えていました。合間に食事やティータイムが入り、瞑想に集中できるよくできたスケジュールでした。
夜の瞑想時間のうち90分程はゴエンカ氏の講話(女性のアナウンサーの翻訳)をカセットテープで聞くのですが、これが非常に面白く、食事に次ぐ楽しみでした。
ちなみに説明や指導の9割以上は、カセットテープでホール全体に流したアナウンスを聞くシステムになっており、テクノロジーを活用した非常に生産性の高い運営システムだと感じました。
瞑想合宿の持ち物
以下の物は必ずお持ちください▼
- 宿泊棟泊の方→掛け布団用と敷き布団用シーツ、枕カバーの三点(大きめのもの)*寝袋はシーツの代わりに使用していただけません(500円で1セット借りられます)
- 健康保険証(思わぬケガや病気などで最寄りの病院に行くことになった場合に必要。どうしても持参ができない場合のみ、コピーでも可)
- 着替え(洗濯施設は限られています、脱水機のみ使用可)
- タオル類、石鹸・シャンプー(匂いの強くないもの)、洗濯用洗剤、洗面道具、歯ブラシセット、生理用品(女性)(洗剤は現地に重曹が置いてあります)
- 目覚まし時計(借りられますが電池切れの可能性大)
- 傘
- 懐中電灯(夜間は暗いため)(借りられます)
あると便利なもの▼
- 脱ぎ履きしやすいサンダル(脱ぎ履きする機会が多いため要必要)
- 長靴(敷地内は舗装されていないので、ぬかるんだ土の上や、通路の水溜りの上などを歩く場合もあります)
- 水筒、ペットボトル(冷水か麦茶を補充するのに便利です)
次の物は持参しないでください▼
- 書籍、雑誌などの読み物
- 十字架や数珠など宗教に関するもの全般
- ペンや紙などの筆記用具
- MP3プレイヤーなどの電子機器
- 食べ物
- タバコ、アルコール類
- 麻薬類
こちらの内容はメールで届いた持ち物ですが、赤字で記載したところは僕が経験して重要だと感じて追記した内容です。
個人的には、荷物削減のために寝具は借りて、目覚まし時計と座布団は持参した方がいいと思いました。長靴は持っていかなくても問題ありませんでした▼
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個室ではなかったので、あとは耳栓とアイマスクがあると助かります。集団生活では音と光が侮れないからです。これが瞑想合宿中の苦悩低減に繋がります▼
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瞑想合宿までのアクセス・到着時刻
到着日が平日か休日かで日時が異なるみたいなのですが、僕のときは平日でしたので、一番早い14時発のバスで合宿所に向かいました▼
到着日が平日
改札を出て左側のバスターミナルの乗り場3番から小湊鉄道バスに乗車し、「睦沢中央公民館」で下車。下記のバス到着時刻には、バス停までセンターから迎えの車が参ります。
- 茂原駅14:00発 睦沢中央公民館14:27着
- 茂原駅15:30発 睦沢中央公民館15:57着
到着日が土日祭日
茂原駅南口バスターミナル1番乗り場から「増田橋」行き(いすみシャトルバス)に乗車し、1つ目の停留所「工業団地入口」で降りてください。
下記のバス到着時刻には、バス停までセンターから迎えの車が参ります。
- 茂原駅 13:05発 工業団地入口13:25着
- 茂原駅 16:35発 工業団地入口16:55着
1番目のバスで乗り、早く付いても現地についたら受付でスマートフォンなど生活必需品以外の全てを預けなければならないので、18時まで暇すぎて2番目のバスに乗ればよかったと後悔しました。笑
瞑想合宿のコース登録用紙
瞑想合宿の全日程体験レポート
それでは、全日程の所感を綴りたいと思います。
初日:夜にアーナーパーナ瞑想の伝授
18時晩食、19時オリエンテーション、そして20時からアーナーパーナ瞑想の伝授、21時には就寝と初日からガッツリだなと感じたことをよく覚えています。
正直な話、もうこの時点でちょっと後悔しだしましたね。笑
1日目:カーテン事件
とにかく雑念がすごかったです。色んな考えが頭の中を駆け巡り、あまり集中できなかったのを覚えています。そして何より身体が痛かったです。帰りたい気持ちもありました。
そして、集団生活特有のちょっとしたトラブルにも見舞われました。
宿舎Aでのカーテンが自分のところは隣人のベッドとベッドとの間にあり、日向が好きなのでカーテンを空けていたのですが、隣人にカーテンが閉められており、それに悩まされました。
上記のように丸で囲った自分のベッド上の部分だけを時計を置いてその分チョコンと開けていたのですが、それが自分がいないときにカーテンが全部閉められるのです。
ということで、カーテンを再びチョコンと開けました。その際に自分がカーテンを開けているのを隣人はしっかりと目を見開いて認識していたのを確認しました。
他の瞑想合宿体験者のレポートでも、隣の人間に悩まされた苦悩が描かれており、非常に共感しました▼
筆者は、隣の人間が鼻を鳴らしたりいびきをかいたり、とても音を出す人間だったので、とても心を乱された…なのでこの10日間はそれを気にしないようにする事との戦いの日々でもあった…。
まるで送り込まれたエージェントかのように感じた。周りの方々も誰ひとり気にしていた様子はなかったので、凄い。だが、これが、最後には実に驚く結末を迎えることとなるのだった。(中略)
ここで驚いたのだが、前に書いた、隣に居た、やたら音を発する不真面目そうな参加者が、最後まで残り、一番活躍をしていた。心が綺麗になったのか、それとも、音を発し、態度が悪く見えるだけで本当はとても良い人なのか、良くは分からないが、人は見た目では全く判断できないなと思った。
聖なる沈黙の後、少し話した時も軽い気持ちで参加した!と言っていたが…驚いた。一番キツそうな作業を、帰る間際まで全力でやっていた。姿を見なかったので帰ったと思っていたら、姿も見せずに人知れず作業に没頭していたらしい。多分、ご飯も食べていなかったのではなかったのではないかと思う。
その事にとても感動した。
出典:30代引きこもり男のヴィパッサナー瞑想合宿体験記!
そしてまさか自分もこのレポートのように、隣の人とは最後に驚くべき結末を迎えることになったのは、このとき思いもよらないのでした。
2日目:寝言事件
まだ雑念はありますが、1日目に比べてだいぶ減少しました。知り合いが恍惚とした境地にアーナーパーナ瞑想で入ったと聞いていたので、その渇望がすごかったです。身体も相変わらず痛いです。
そしてカーテン問題に関しては、恐る恐る宿舎に帰宅して確認してみると、今度は閉められておらず安心しました。
しかし、今度はその隣人が深夜にものすごい寝言を言うのです!しかも、英語と日本語を交えたカオスな寝言を言うのです!!笑
さらなる気になる悩みごとが生じるというこの出来事は、まさに試練だと感じましたね。泣
3日目:憂鬱な気分で一杯
だいぶ雑念はなくなりましたが、瞑想中の身体の痛みはまだ気になります。恍惚とした境地にまでは至りませんでしたが、かなり集中した状態には入れるようになりました。
しかしここでまたカーテンが閉められているのです!しかしこのときには、瞑想に集中するためにカーテンを閉めているんだなと思い、再び開けるようなことはしませんでした。
とはいえ、まだ3日目、この生活がまだ7日目も続くのかと憂鬱な気分で一杯でしたね。
4日目:夜にヴィパッサナー瞑想の伝授
雑念も少なくなり、アーナーパーナ瞑想に慣れてきたのか、集中できるようになりました。
カーテン問題に関してもこの辺りには気にしなくなってきました。自由瞑想時には閉めて集中したいんだなというのが理解できたのと、瞑想以外の時間帯ではカーテンが閉められていることがなかったからです。
ここでようやく4日目の夜にしてついにヴィパッサナー瞑想を教わりました。9日まではヴィパッサナー瞑想です。
そしてここで新たなルールが加わります。それは1日3回ある1時間のグループ瞑想時には、「強い決意のもと、手足や身体を決して動かさないようにしましょう」というものです。
強い決意をパーリ語で「アディッターナ」といいます。
5日目:左肩激痛事件
今日でようやく瞑想合宿の半分が終わると思いながら、渇望と嫌悪を感じながら瞑想していたと思います。
背筋をピンと伸ばして瞑想していたのですが、普段猫背で長時間もピンと背筋を伸ばしておらず、筋肉痛となっているのか、左肩に激痛が走ります。
それでも「アディッターナ(強い決意のもとでの瞑想)」を守り、一度も手足を組み替えたり身体を動かしたりすることなく、何とか耐え抜きました。
6日目:生活にストレッチを加える
「今日から瞑想合宿は後半戦だ」と思いながらも、相変わらず左肩の激痛との闘いです。この痛みも嫌悪に惑わされない試練だと思い、プラスのエネルギーに変えて意識の集中に努めました。
生徒の心が折れないようになのか、ゴエンカ氏のアナウンスでも催眠術のように、「懸命に、一所懸命に働きなさい。きっと上手くいくでしょう。必ず上手くいくでしょう。」というフレーズが頻出します。
この辺りから、少しでも痛みを軽減するために、暇さえあれば身体のストレッチをするようになりました。
7日目:左右対称にヴィパッサナー瞑想
確かこの日に「左右対称で両方の感覚を感じながら意識を動かし続けるようにしなさい」という新たな指示が入ったと思います。
「瞑想合宿を三分割したらもう2分割分は終えた」とを思いながら、瞑想に励みました。この頃になるとヴィパッサナー瞑想もう慣れてきて、集中もだいぶできるようになっていたと思います。
そして何より、睡眠時の姿勢がよかったのか、小まめなストレッチが功を奏したのか、左肩の激しい痛みもなくなり一安心した日でした。
しかし、左肩の痛みがなくなると、今度は不思議とお尻の痛みや足の圧迫、痺れに対して苦痛を感じるようになります。笑
そのため、坐り方を工夫するようになり、右足を左脛の上に置くようにすることで、圧迫感をなくすことに成功しました。瞑想時の姿勢も創意工夫の日々です。
8日目:つば飛沫事件
「瞑想合宿もあと3日間で終わる!」と感じながら8日目を迎えます。もう意識の流れもスムーズになり、1セットを終えるのもだいぶ早くなりました。
しかしまたも新たな試練が生じました。前々から気になっていたのですが、瞑想ホールで座る後ろの人がやたらとくしゃみを連発するのです。
音や風だけならまだ我慢できるのですが、最悪なことにつば飛沫が来ることがあるのです!泣
潔癖症である自分にとってこれには大変参りました。まさに試練、嫌悪の感覚との闘いでした。。
9日目:夜にメッター・バーバナー瞑想の伝授
「瞑想合宿を5分割にしたらもう最後の分割分だ!今日と明日で終わる。しかも明日は聖なる沈黙の解禁日だ!」と思っていました。
夜には聖なる沈黙の解放に備えて、メッター・バーバナー瞑想(慈悲の瞑想)を教わりました。
また、確かこの日に、普段見慣れない椅子と用紙がホール前に置かれており、その用紙に北海道で震度6強の災害が起きたこと、希望者は家族や親戚に安否確認の連絡が取れる旨が書かれていました。
俗世との情報を遮断されているとはいえ、こういう緊急を要するニュースの際は、しっかり告知されて、必要なら外界と連絡を取ることができます。
そしてもう一つ、夕方のグループ瞑想時につば飛沫を受けてしまい、その後の自由瞑想時間中にシャワーを浴びたところ、生徒を統括するティーチャーにダメというジェスチャーで注意されるということがありました。
「つば飛沫による嫌悪のサンカーラ(反応)が出てしまって」と言い訳をいいそうになりましたが、咄嗟に「すみません」と述べたのを覚えています。
10日目:聖なる沈黙の解放
ついに午前のグループ瞑想で聖なる沈黙の解放を指示されます。とはいえ、友達同士で来ている人以外はほとんど喋っていませんでした。
しかし、お昼ご飯を食べ終えた辺りから、一気に談笑している人達を見掛けるようになりました。僕もそこで乾燥機を掛けている男性に話しかけて、90分ほども怒涛のお喋りをしました(お互いコミュ欲が爆発しましたw)。
なんでも金融機関で会社役員(しかも浅草で知人のシェアハウスの管理人を代行しているため、家賃0)で、投資に詳しく、外国に口座(フィリピンがいいらしく開設準備中なんだとか)を作ると年利8%くらい入ることを教わります。
調べてみるとたしかに「フィリピン オウン銀行」というところでは、そのくらいの年利が付く文献が出てきました。思わぬ儲け話を聞けました。
その後も他の人に話しか掛けて、その方とも90分ほども怒涛のお喋りです。その会話途中で例のカーテン事件の隣人に、「瞑想ホールに声が聞こえてますよ」と注意される出来事もありました。
あとはもう片方の隣人(大学生)に話し掛けて、僕が仕事にしているWebマーケティングやライティングの話に興味津々で、「非常に刺激を受けた」と言ってもらえるくらい好影響を与えられたと出来事もありました。
さらに面白いのが、この後のティータイムのときに、その隣人経由で瞑想ホールの後ろの人と最終日のタクシーの相乗りを提案をいただいて、例のつば飛沫事件の人と繋がります。笑
ちなみに聖なる沈黙が解かれた後の瞑想ホールは、もうすっかり過疎化して、みんな瞑想しなくなっていたのが印象的でした。笑
最終日:9時タクシー、バスで現地出発
最終日は4時半から俗世での瞑想方法についての指導や、奉仕者の募集、朝食、掃除、解散という流れです。
この朝食時にタクシーの相乗りが決まったこともあり、つば飛沫を受けた彼と一緒に食事することになり、お互いの仕事や生活に関してお喋りしました。
話を伺ってみると子持ちで25歳リクルート出身、今は奥さんと一緒に企業に対してコーチングのコンサルティングをしているという事業家の人でした。社交的でシェアハウス8人で住んでいる話と結婚話が興味深かったです。
つば飛沫という些細なこと(当時は些細でなかった汗)で嫌悪を感じてしまいましたが、話してみると普通にいい人でちゃんとした人だということがわかりました。コミュニケーションって大切だと痛感します。笑
掃除は各自分担して僕は食堂をもうひとりのふくよかな生徒の方としました。この方もとても善人で、僕はタクシーで早く帰宅しなければいけなかったのですが、「後はやっておきますからいいですよ」と言ってくれました。
バスの場合は500円で、9時出発を逃すと15時頃の便になってしまいます。そのためタクシーの利用を施設では推奨していました。
タクシーは相乗りで最大4人乗ると800円程で茂原駅まで行けるのですが、隣人とリクルートの彼と、あともう一人が決まっていなかったのですが、ミラクルが起こります!
タクシーに行くとなんとあのカーテン事件の隣人が乗車しているのです…!!
わだかまりじゃないですが、彼のことが気になっていたので、タクシーの車内で色々と話すことができて心の名残が取れてスッキリしました。
話を聞いてみるとなんと仙台から来ている仏教に興味を持った大学生の方でした。ミニマリストにも興味があるということで、ここでも自分の得意分野で刺激を与えることができました。
茂原駅でも電車が来るまで4人で10分ほど談笑したのですが、そこで寝言の真相を聞くと、やはり英語を学んでいるとのことで、睡眠時に潜在意識で自覚なしに喋っていたようでした(もう1人の隣人の人は寝言を僕だと思っていたみたいですw)。
そんなこんなで全ての気になっていたことが解消されて、最後はみんなでLINEやFacebookなどの連絡先を交換して解散し、瞑想合宿は無事に幕を閉じました!!!
瞑想合宿後の変化・効果・恩恵(メリット)
さて、肝心の効果や変化というと、、、
俗世での生活のありがたみを痛感し、自由に行動できることや、自由に好きなご飯を食べられることに対して、喜びや感謝、幸福を感じるようになりました。
そして、これはメッター・バーバナー瞑想方法による恩恵だと思うのですが、自分だけでなく、周りの人に幸せと感謝を感じるようになりました。それに伴い、対人関係で思い悩む時間も減少しました。
さらに、仕事への意欲が向上して、仕事を思う存分できる喜びや、仕事への集中力が増しました。いまのところ1日の作業時間が2時間以上も増加しています!
集中力が向上した上に、労働時間も増加しているので、「生産性の向上に効果があった」と俗世に戻ってきた5日目現在は感じています。
瞑想合宿後の副作用(デメリット)
とはいえ、いいことばかりではありません。瞑想合宿直後の運動では元気が出なかったり、食欲が爆発してドカ食い日々で、リバウンドして体重が4キロ増加しました。※12日間で2キロ減少したので実質2キロ増加
瞑想合宿中は節食だったこともあり、10日目の朝の1回しか便が出ませんでした。10日間の便秘です。
さらには、性欲が減少し、連絡を取り合っていた異性とのやり取りをガン無視するようになってしまいました。笑
また、良くも悪くも落ち着いてしまって、若いノリについていけなくなってしまいましたね。
瞑想合宿後(古い生徒)の特典(初回は新しい生徒)
瞑想合宿に参加後は、新しい生徒から古い生徒になります。古い生徒になると、10日間コースに加えて3日間コースの参加資格が得られます。
10日間コースが辛すぎたので、3日間コースに参加できるようになるのは非常にメリットですね。さらに都内で開催する一日瞑想会にも参加できるようになります!
これなら仕事にも影響がなく、気軽に参加できるので、かなり嬉しい特典ではないでしょうか。
そして古い生徒専用のサイトを閲覧できるようになります。ログインパスワードが与えられて、下記サイト上のコンテンツが自由に閲覧できるようになります▼
こちらのサイトでは定期的に発行する刊行物が見れたりします。参考までに2018年の秋号のPDFファイルだけコチラにアップロードしておきますね▼
おわりに
以上が、10日間の瞑想合宿を経験して感じた正直なレポートです。
ゴエンカ氏が何度も「アニッチャ(無常)」と仰っていたのが印象的で、渇望や嫌悪の感情が生まれたときには、アニッチャ・アニッチャ・アニッチャと感情が過ぎ去るのを「洞察の智慧(パンニャー)」を持って平静な心で観察できるようになりました。
瞑想中の身体の痛みや痒みなどの感覚に対しても、「アディッターナ(強い決意)」を心に持って、反応せずに平静な心で客観的に洞察する智慧を持ち、感覚が過ぎ去るのをただただ観察できるようになりました。
もちろん、まだまだ未熟で、雑念や渇望や嫌悪と格闘する日々です。とはいえ、この実践を通しての経験により、瞑想の効果や変化を実感し、一気に瞑想や仏教や仏陀についての学ぶ意欲が湧きました。
瞑想や仏教や仏陀などの書籍を熟読し、得た知識やノウハウについては、これから随時ブログでを共有していきたいと思います!
最後に感銘を受けた仏陀(ブッダ)の格言を引用して締めたいと思います▼
他人の過失を見る必要はありません。他人のした事としなかった事を見るのではなく、自分がした事としなかった事だけを見るようにせよ。
「因果関係によってつくりだされたすべてのものは無常である(諸行無常である)」と、智慧によって見るとき、人は苦しみを厭(いと)い離れる。これが人が清らかになるための道である。
過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。
瞑想合宿を終えて、座右の銘に「諸行無常」が加わったのは言うまでもありません。
ありがとうございます。とても参考になりました。
私は別の有料の瞑想合宿&リトリートに参加して、主にアーナパーナサティと慈悲の瞑想で自宅で毎日続けて様々な効果を実感しています。
私も何度かこの合宿に参加しようとしたのですが、毎回人気が高くキャンセル待ちの中、新型コロナウィルスの影響で中止となってしまいました。
記載頂いた中で、年二千万円の経費を知った上での寄付者が半分程度、分かる範囲で一人5000円~1万円寄付の実態を知り、思わず残念に感じてしまいました。
しかしS.N. ゴエンカ氏 がスイスのベルンで行なった講話全文を読んで、無知であるがゆえの「残念」な感情を抱く自分に気づき、反省しました。ヴィパッサナー瞑想を実践して「バランスのとれた心、真理を見通し理解する心」となって自他の真の幸福・心の平安に至りたいと思います。
今後は自宅でヴィパッサナー瞑想を中心に実践しようと思います。
ありがとうございました。